きびしいことを言いました

こんにちは。

新留です。

高学年の国語の授業でのこと。

少しきびしい言葉を子どもたちに言いました。

「ちょっとやり方雑になってない?」

その日は抜き打ちで入試問題を1題解き、その場で答え合わせをしていたのですが、

答えの解説をするたびに、

「合ってた! イェーイ!」

「外れた〜〜〜」

「先生、この問題何点!?」

と答えが合っているか、何点なのかばかりを気にしているのです。

過程や中身のことは全然考えず、こちらがなぜその答えになるのかを聞いているとき、解説しているときも、

他の子が合っているか、自分は何点なのか、ばかりを気にしています。

いまの時期に実際に出題された問題をできるのがうれしいことはわかります。

実際、そのテストでも得点率が8割、9割の子もいて、

いい点を取れて他の子に自慢したい気持ちや、マウントを取りたい気持ちもわかります。

でも、あくまで今やっていることは、

どんな学校の問題でも9割取れるような、

そして、中学受験だけでなく、高校受験、大学受験、社会人になっても役に立つ揺るがない語彙力や読解力、読む技術を身につけるという「目的」があってやっている「練習」であり、

はっきり言って、いまの点数はどうでもいいのですね。

点数という結果よりも、その点数に至った過程、中身の方が圧倒的に大事。

語彙を増やし、

いつも通りのやり方で読み、

テーマや主張を押さえ、

段落や構成を意識し、

すべての問題や選択肢において、

なぜ、その答えなのか、

なぜ、この選択肢が正解なのか、

他の選択肢はどうちがうのか、どう変えれば正解なのかが言えて、

記述は答えるべきことに答えられ、充分な解答をつくる。

少なくとも部分点だけは確実に取りにいく。

その結果、満点をとれて初めて喜んでいいのですね。

いま8割取れたら良いぐらいの問題を選んだとはいえ、その出来で満足してもらっては困るのです。

ましてや、それが根拠のないまぐれ当たりだっとしたら喜んでてはいけません。

9割取れていた子たちにも、

「そんないい加減なやり方じゃ成績は安定しないし、いつか伸び悩むよ」

ときびしい言葉を言いました。

そして、出来がよくなかった子も、普段やっている通りのやり方ではないやり方をやっていたり、やり方が雑だったりしたら、そもそも点数以前の問題だとも。

不安やストレスを感じていたりで、うまくいったテストの点数に喜ぶのもわかります。

逆に、

いまいち出来がよくなく、残り時間を考えて不安になり、

地に足がつかず、いつもやっているやり方を忘れ、今までできたこともできなくなる子もいます。

でも、どちらも、いい状態ではないのですね。

やり方が雑だと、いくら量をやっても効果は薄いし、むしろ、変なクセがついたりと害になることさえあります。

たまたま結果は良かったかもしれないけれども、子どもたちに身につけてもらいたいのは、もっと上の力と技術なのですよね。

最初は「楽しさ」から入ることが大切ですが、

その次の段階では「技術」を身につけていくので、目的や目標を持って練習をしないといけません。

その際は、考えてやらなくてはいけないので大変だし、

少し上のことをやるので困難なこともあるし、

修整のための否定的なフィードバックを受けることもあるので、落ち込みやすくもなります。

そして、完全を目指せば目指すほど、できないことをできるようになるまで繰り返さなくてはいけないのでめんどくさいです(笑)

でも、まだまだこれからだし、まだまだこんなものではないはず。

最終学年、

「スラムダンク」で安西先生が将来を期待していた谷沢くんに才能を開花させるためきっちりとした基礎を身につけさせたように、

きちんと先を見据えて、やっていきたいなと思っています。

基本はゆるっとしているし、あんなにお腹は出ていないし、ホワイトヘアードでもないですが( ̄▽ ̄)